TOGODESIGN |
トップ
|
今年ももう12月です。なんだかあっという間の一年です。
毎年毎年の事ですが、この時期になると枯葉が落ち、地面がさまざまな色の落葉のじゅうたんで彩られる。
毎日見ている地面の変化にワクワクする。
雪が降れば白いじゅうたんで覆われた様になる。秋から冬にかけては地面の変化が楽しい季節であると最近気が付きました。
しかし、コレだけ落葉が積もると掃除が大変ですね。
桂離宮の竹塀に使われている和釘です。和釘にはいろいろな種類がありますが、下の和釘と同じ種類の階折釘が使われていました。
一本一本手で造る釘は留めるという役割を果たしつつ存在感も感じます。一列に並んでいる姿がとても綺麗です。
ただただ竹が並んでいるだけの塀。
そこに一列に並ぶ釘。
たったこれだけの事なのに美しさを感じるのは何故だろうとおもいます。不思議です。
突然ですが左の写真の物体、なにやら見慣れない形をしておりますが釘であります。釘といってもよく目にする頭が丸い洋釘ではなく和釘です。
和釘は一本一本手で打って造られ、滅多にお目にかかる事は無いですが今も造ってくれる人がいます。
和釘は、鉄を焼き鍛える事で釘の表面に酸化皮膜が形成され、木材に打ち込まれた後でも洋釘に比べ格段に腐食に強くなるそうです。また、表面の凹凸により食いつきも良い。
しかし、お値段・・・・僅か3センチ程のこの和釘一本で、洋釘が500本程買えます。
今回この釘を建具に使いますが仕上がりがとても楽しみです。
一年ともう少し位前に京都の桂離宮を見に行きました。
なんともなんとも素晴らしく大変勉強になりました。このような建築と庭に少しでも近づけたらと思います。
それはこのような形に、という話しではなく、この建築と庭に宿る心に少しでも近づきたいと思うのです。
もちろん形態はすこぶる美しく、見ていて心地よいものでした。しかしそれ以上に、ここ桂離宮にいると目に見えないいろいろな事がなんとも心地いいのです。
理屈抜きで人間にとって心地よい事、それは身近な所にあると感じます。
水を見る事・触れる事、草木を見る事・触れる事、風を感じ陽にあたる事。
ここではかつて、そんな中でお茶を飲み、会話を楽しんでいたのでしょうか。
気張らない、飾らない、無理しない、人間に近い建築・デザインを行っていこうと改めて考えさせられました。
また、本当の贅沢とは何かを感じる事もできました。
今我々は何かを見失い、何かに誘導され生活しているように思います。
そこから抜け出すことが明るい未来への近道のような気がします。
昼は暑くて夜涼しい。そんな季節になりました。
日中はちょっと暑いけど、かといってエアコンをつけるまでもない中途半端な感じです。こんな季節は特に、窓を開けると涼しい風が流れる建物に居るのが心地いいです。
なんだかんだ言ってもやっぱりエアコンの冷気よりも自然の涼しい風の方が気分は良い。
どんな建物を造る場合でも、そのような環境づくりをしたいものです。
写真はセントラルパークですが、この時期はこんな木陰でだらっとしてると気分もリフレッシュできますね。
暑くなる頃に始まり、涼しくなる頃に完成を向かえました。
完成した次の日に荷物が入ってくるという慌ただしい工程でしたが、こうやって完成を見るとほっとします。
この写真を撮った日は、引越しの荷物が入ってきた日だったので、まだダンボール箱が積んであったり、床には配線がパラパラとありますが、一通り建物のチェックをして問題のあった箇所を工務店に話します。その後問題があった箇所を修正し終了となります。
新築から40年以上が経過した木造の建物であることや、工事金額をおさえる為に、建物の仕上材料には杉板とラワンベニヤのみしか使っていません。
しかし、この二つの材料は表情が豊かなので使い方によってとてもいい空間を造ることができると思います。
あとは、細部の納め方。扉の取り付け方や寸法、枠の形状、巾木の形状や寸法などによっても大きく変化します。
料理と同じで、どんな材料も手間のかけ方で良くなります。
ただ、それはなるべく自然な材料の場合であり、工業製品の材料は工夫できる幅が狭く限界も低い気がします。
こうして出来上がってみると、なんだか改装したばかりとは思えない雰囲気です。
40年前からこのままだったような・・・・
八月も半ばです、毎日暑いです、この暑さの中大工さんは大変ですね。
壁と天井の下地がほぼ組まれました。写真は天井の下地ですが、実に丁寧で美しいです。今後、この上に天井の板を張っていく事になります。
8月31日が完成予定なので、ここからは一気に形になっていきますが、同時に細かい打ち合わせなども一気に出てくるので気が抜けません。
ラストスパートがんばります。
木造住宅の室内の改装が始まりました。
構造に関係ない壁や天井をはずしプランをやり直します。柱や梁、構造の壁に手をつけずに木造の改装を行う場合、結構制約が出てきますが、かなりの変化とリフレッシュは出来ます。
天井をはずすと小屋組みが現われます。丸太の梁なども使われていて美しいです。再び隠してしまうのは勿体無いですが、このままでは日常生活がちょっと厳しいとも思います。
この状態で、通常は手を加える事が出来ないあらゆる箇所に補強を施し、再び仕上げ材で覆って行く事になります。
これは、和室と廊下を子供部屋に改装した部分改装です。
8帖の和室4間と廊下を子供部屋二部屋に改装しました。しかし、一部屋20帖弱という広さの子供部屋など見たこと無いです・・・自分でもびっくりです。自分の子供の頃にもこんなに広い部屋があったらいろいろ楽しかっただろうと思います。
施主様からの要望には、ローコストでの改装と沢山の収納という二本柱がありました。
その為、シンプルにしつつも収納をしっかり設け、さらに楽しくなるような仕掛けを創りたいと考えました。それが、各部屋の中心にあるカラフルな「使える壁」です。
「使える壁」には等間隔にフックが取り付けてあります。ここに衣類・鞄などさまざまな物を掛ける事ができ、更には一部屋を緩やかに分けています。壁のような家具のような間仕切りです。物が沢山掛けられると物で仕切られてるような感じでしょうか。
そして、この壁の色は好きな色を選んでいただきました。ピンク色は、かなりインパクトがありますが、実際はしっくりきています。
左に見える鏡のエリアではバレエのレッスンも出来ます。
私は、汚れたり、散らかった部屋の掃除をしたり片付けをしたりするのが大の苦手です。
苦手だけど、汚れたり散らかった部屋にいるのも好きではないというワガママっぷりです。
なので、基本散らかる前に片付ける、使った物は使い終わったら元の場所に戻す。
汚れる前に簡単に掃除をする。掃除や片付けも、短時間で済めば苦にならないから不思議です。
使った物を毎回元の場所へ片付けるという行動を起こし易くする環境づくりの一つとして、整理整頓を心がけています。するとどうやら、その状態を保とうという心理も働くようです。
また、家や事務所の室内に不必要な物を持ち込まない・買わない、という事を心がけ物を増やさないようにしています。
結果的に、物が少なければ多少散らかっていてもスッキリしてみえる為、片付けからある程度は開放される。
片付け嫌いとしては嬉しい状況であります。
写真は愛知県庁です。
いよいよ梅雨の時期に入りました。毎日ジメジメじとじと嫌なものです。この時期はじっと我慢です。
梅雨があければ暑い夏がやって来ますが、ここのところ1~2年で冷房の寒さが随分と苦手になりました。
湿度が高いのはやっぱり嫌ですが、湿度が低い暑さなら汗をかいている方が気持ちよく、生温い風が頬をなでるのも心地よく感じるようになりました。
今住んでる家は、一階だけに限り真夏でもエアコン無しで過ごせます。やはり二階はエアコン無しではちょっと辛いです。
二階の暑さは、屋根からの熱の影響と、暖かい空気が二階に溜まる事が大きな原因だと思いますが、一階よりも風通しが悪い事も原因の一つだと考えています。
住宅は風通しが良ければ、真夏でもある程度エアコンに頼らず過ごせると思います。
風通しがいい家とは、家の全ての部屋を風が通過する家。床面から天井面まで風が流れる家。
窓は床から開く窓が望ましいと思いますが、全てをそのような窓にする事もこれまた難しいです。
しかし、設計する際はできるだけ風の通りが良くなるようにつねづね考えています。
やはり日本に家を建てる以上、風通しは最重要項目であることは間違いないと思います。
住宅を造るとき、店舗を造るとき、家具を造るとき、いずれの時も設計図を描く。
設計図の種類には、平面図、断面図、立面図などがあり、その他にもいろいろな図面を描く。
その名のとおり、平面図は平面を表し、断面図は断面をあらわし、立面図は立面を表します。
デザインをする時に、特に大事にしているのは断面を表す断面図です。平面図は「見える形」を表し、断面図は「触れる形」を表してると思うからです。
見たときにカッコいいと思える形も大事だと思いますが、触った時に心地いいと感じる形も物凄く大事だと思います。
それは見ただけでは解らない地味な事だと思うのですが、触ることによる心地よさや気持ちよさを、生活空間の中にちりばめたいと常々考えています。
長年の生活の中で、「そういえば心地いい」と感じてもらえれば嬉しく思います。
春になったので、先日「坂の上の家」の写真撮影に行ってきました。
写真は毎回自分で撮っていますが結構な時間を使います。半日位は撮っているでしょうか。
今回は、撮影の合間に庭でバーベキューをしていただき、非常に和気藹々とした楽しい撮影ができました。
家の庭でのバーベキューはいいものですね、のんびりゆったりリラックスできます。
飛び入りでご近所の方もバーベキューに参加されいろんな話も弾みます。子供達は子供達で家中を走り回っています。
そんな時間を過ごしていると、家が生きている事を体感でき、建築家としての一番の喜びがそこにあることを実感しました。
毎日車であちこち走りながら想像する事がある。ここの地域に住んでみたい・・・とか、そんな想像です。
住んでみたいと思う地域はいろいろですが、個人的には坂道が好きなようです。
あまり勾配がきつくない緩やかな坂道でちょっと曲がりくねっている道が多い地域。
もしくは、栄えている街からちょっとだけ離れた静かな地域。
感覚的に判断している部分が大きいですが、そんな地域に惹かれます。
そんな地域で建物が建っていない敷地を見かけると、更に想像は広がります。
そして、雰囲気のいい公園があるとか、スーパーマーケットがあるとか、学校が近いとか日常生活に必要な施設が適度に揃っていれば文句なしです。
あと、街の中心へ行くときや、郊外へ出るときのアクセスも考えたりします。
家を建てて住むという事は、家を建てる地域に住むという事なので地域の選択は重要だと思っています。
次に、選んだ地域の中の選んだ敷地にどのように家を建てるかで日常生活がどこまで楽しいものになるのかが決まると思います。
選んだ敷地には、その敷地での最良の建物の配置や形状があり、その敷地でしか実現できない建て方もあると思います。
敷地の周りの状況や方位から考えると、当然隣の敷地に建つ建物とは違った内容になるはずであり、同じような建物が並ぶ事は本来あるべき姿ではないと思っています。
敷地の周囲状況とは全く関係なしに、ただ敷地に置かれただけの建物ほど勿体無いものはない。
建築家として、そんなことを考えながら街を見ています。
2~3年程前から写真を撮るのが趣味になりました。なかなか頭の中でイメージをした絵が撮れないのでもどかしいですが楽しいです。
特に、光については頭の中で描いた通りには表現できず悩みます。
それはそれとして、写真を撮っていると、日常のなんでもないものが、見方を変えると全然違ったものに見えたりもするのでウキウキします。
このバサバサに伐られた樹木も、見方によっては元々こういう植物のような気もしてきます。なんか南国の樹木のような。そう見えるのは自分だけでしょうか??
普段何気なく見ていて見過ごしているもの、見えているのに脳が認識していないものを自分の視点で見る、写真を撮りながらそんなことを学んでいる気がします。
むかしむかしの話しですが、初めて一人暮らしをした時は日当たりなどどうでもいいと思っていた。育った家は日当たりが良かった為、当たり前にある太陽の有難みが解っていなかったのだろう。
日が当たらない北側の部屋を借りて、住んでみて初めて太陽の大切さを体感した。それでもまだ、働く場所に対しては日が当たらなくてもいいと思っていた。
しかし、この写真の事務所に来てからは考え方が180度変わった。やはり働く場所も日当たりが良いほうがいい。気分が断然明るくなります。
心に大きく影響する日当たりの大切さをしみじみ感じます。
ただ、夏はめちゃくちゃ暑い。
今は住める家、10年経っても住める家、20年経っても住める家、30年経っても住める家、二世代にわたっても住める家。
いろいろな家があると思います。
雑誌で見る家、実際に見る家、それらを見てまず考える事は、この家は今しか住めないなあとか、何十年も気持ちよく住めるなあとか、この家には自分なら住めないとか、自分が住むなら・・・・と考えます。
自分の趣味が多少考えを左右したりもしますが、基本的には年齢と共に変化する身体的変化や精神的変化、生活環境の変化、人間関係の変化を想定し判断をしています。
若い時代に住むならスタイリッシュな空間もいいかもしれない。
しかし、年をとるとそれでは疲れてしまうかもしれない。
例えばそのような感じ方の変化に対応できる住宅なのか、対応できない住宅なのかとついつい考えてしまう。職業病です。半分趣味かもしれませんが。
だから、自分が設計する場合に目標とする事の一つは、安定感がある事。
何年経っても、そこに住む人にさまざまな変化があっても、なんら変わらず落ち着くことができる安定感がある家。
いつも、どっしりとかまえていて人間を受け入れてくれるような安定感がある家。
なんかだか解るような解らないような表現ですが、そんな家を目指しています。
冷暖房器具になるべく頼らないで生活をしたい。それができるならそりゃ一番いい。
そこに近づく為に世の中の設計者はいろいろ考える訳ですが、その為に大げさな設備が必要だったり、見栄えの悪い設備が必要だったりする場合がある。
それではイマイチなので、もっとシンプルに出来る範囲で仕組みを考え、たまには冷暖房器具に頼るくらいの力の抜き方が個人的にはいいのではないかと思っています。
何故、室内は暑かったり寒かったりするのだろうか。
シンプルに考えると住宅はただの六面体の箱なので、もしも外の熱が中に伝わらなければ室内環境は安定し、風が流れれば涼しく、陽が当たれば暖かく、冷暖房器具に頼る必要は無いのです。
実際の場合、外から中へ、何処から熱が伝わるかと言えば、「六面体のそれぞれの面」と「窓」の二つです。
六面体のそれぞれの面は断熱材を施す事によりある程度は熱が伝わる事を防ぐことができるが、窓はなかなか難しい。
ペアガラスやLOW-Eガラスを使用しても窓から伝わる熱を大幅に防ぐ事はできません。
そこで、ちょっと考え方を変えて、窓の面は、夏には輻射暖房パネルになり、冬には輻射冷房パネルになるのと同じ事と考えれば、窓が及ぼす影響の大きさが解り易いと思います。大きな窓は能力の高い冷暖房器具と同じなのです。夏の場合、窓と同じサイズのオイルヒーターをつけているのと同じという事なので、暑くて当然なのです。
したがって、暑さ寒さの大きな原因である窓をどのように扱うかによって室内環境は大きく変化すると考えています。
同時に、夏は建物の周囲と内部に太陽の熱を蓄熱させず、冬は建物の内部に太陽の熱を蓄熱させる事ができれば、基本的には陽があたれば暖かいし、風が吹けば涼しいと思うのです。
夏の蒸し暑くべたべたと湿度の高い日には、こんなに暑いなら冬の寒さに耐える方がいいなあと思い、冬の凍えるような寒さの日には、こんなに寒いなら夏の暑さに耐える方がいいかなと思ったりする。
夏でも冬でも快適に過ごしたいものであるがなかなか難しい。
しかし、夏でも暑いときには日陰に入ると涼しく、また冬の寒い時には太陽の陽を浴びると暖かい。
ところで、同じ日陰でもテントの日陰と木陰では随分と涼しさも違ってくる。
木陰の方が随分と涼しいのであるが、これはテントの日陰と木陰の距離が5mと離れていない場合でも、その歴然とした差を体感できる。
住宅の場合、庇を深くして陰を作るのも良いですが、家の周りに木が茂っていれば更に涼しく過ごせそうです。
その木が落葉樹であれば、冬には逆にさんさんと陽があたります。
落葉樹は自動で開閉する自然のブラインドのようなものですが、このブラインドが部屋の外にあることがとても重要です。
部屋の中で陽を遮っても熱は既に中まで伝わって来ている為、外で熱を遮る事が理想なのです。
そんなちょっとしたことで、暑さ寒さが和らぐならば住宅を設計する際には積極的に活用したいものです。
なかなか難しいのですが、つねづね思っている事は、なるべく冷暖房器具に頼らず生活をしたいという事。
完全には無理かもしれませんが、ある程度はいけるとも思っています。
ふと、旅をしたくなる事がある。
旅の道中では、人とふれあい、その地域の食物を食べ、たまにはアクシデントもあり、楽しかったり美味しかったり青ざめたり、沢山の出来事を体験する。また、今まで知らなかった事を沢山知る。
そんな旅の中で受ける刺激がたまらなく好きだし、生きている事を実感する。
あぁ、こんな毎日を過ごしたいと思う。
そんな旅の中でのある日、生活に必要なモノは意外と少ない事に気づいた。
実際、旅の持ち物と言えばお金と衣類とカメラに本といった少々の雑貨で事は足りる。
その気とお金さえあれば、そのまま半年でも1年でも旅はできるだろう。
そして1年も旅をしていれば、その人にとってそれはそのまま日常生活と言えるかもしれない。
極端な話しにしてしまうと、衣類と食べ物と寝る場所があれば生活は成り立つ事になる。
また、旅は日常生活から離れたことのようだが、実際は旅の中に日常生活の全てがあるとも言える。
旅とは、本当に必要なモノだけを持ち、さまざまな事を体感する事に重点をおく行為だと思っている。
物は最小、事は最大。
逆に日常生活では、モノの為に働いていたり、モノが溢れて生活空間を圧迫したり、実はモノに振り回されている事が多くないだろうか。
モノが図々しく居座る空間の中で、何故か人間がちょっと遠慮しながら生活してはいないだろうか。
たとえ収納スペースを増やしたとしても、無駄なモノを持たないという意識が変わらない限り収納は足りなくなるだろう。
物はそこそこ、事もそこそこ、になってしまいがちです。
三回にわたって、人と物と生活の関係について思う事をダラダラと好き勝手に書きましたが、本当に必要なモノだけを持ち、モノに振り回されない生活をしたいと思うのです。
さまざまな事を体感する事に重点をおき、旅のような日常生活をおくる事ができたらどんなに楽しいだろうと。
住宅という箱の良し悪しと、そこに住む人の考え方によって、日常生活は良くも悪くも変化していくのではないでしょうか。
前回、モノに囲まれず身軽に生活をしたいという話しを書きました。
日常生活をおくるには必ずモノを所有しなければならないと思いがちですが、それは考え方一つで変わるとも思っています。
それは、日常生活に必要な全てのモノは「借りている」という考え方。
そのように考えると、なんとなく気持ちは身軽になるから不思議なものです。
所有するという概念が無くなる事は無いにしても、所有する事に満足を求めないようになると、身の回りに増え続けるモノの中で、不必要なモノを処分する事ができるようになるのではないでしょうか。
すると、住宅における収納のスペースを減らす事ができ、部屋としての面積を少しでも大きくできます。
もしくは、部屋にモノが溢れて活動スペースを圧迫する生活から抜け出す事ができるかもしれません。
例えば、一般的な大人の男性一人分の衣類を収納する為に必要なスペースですが、幅180センチ・高さ180センチ・奥行65センチあれば十分だと考えています。女性の場合だともう少し大きなスペースが必要でしょうか。
これだけの収納スペースがあり、スペースを無駄にしない収納方法を活用すれば、
余程の服好きで大量の衣類がない限り問題無いはずです。
但し、これは上で述べた不必要なモノを所有しない場合にだけあてはまる寸法だと考えています。
1年着なければきっとそれは不必要、2年着なければほぼそれは不必要。
もしも常に必要な服しか所有していなければ、収納されている服は全て1軍選手でフル活動しています。
参考までに、上で述べた寸法での具体的な収納枚数としては、ジャケット・コートなど20着、Tシャツ40枚、
長袖シャツ26枚、ニット15枚、マフラー3枚、パンツ28本、下着・タオル14枚、鞄5つ、これに加えて衣装ケース4箱などなどが収納できます。
これは私が実験的に収納して数えた枚数です。
このような考え方は、日常生活を豊かにする為の一つの提案ですが、実際にクライアントと繰り返し繰り返し打ち合せをおこない、ギリギリの収納では不安が残る場合は収納のスペースを大きくとります。
大は小を兼ねるのは事実であり、やはり大きな収納は安心の一つ。
衣類以外では子供グッズは結構な収納スペースを必要としますし、季節モノなどに対しては余裕がある収納スペースを必要とします。
住宅をデザイン・設計する場合においては、このような表立って脚光を浴びない地味な部分に対する考え方や、一見建物とはあまり関係無さそうなモノに対する考え方も大切にしています。
全てはそこに住む家族のよりよい日常生活の為に。
次回はこのような事が、一体何処へ繋がっていくのかを書きたいと思っています。
毎日毎日寝て起きて働いて遊んでまた寝る。
こうやって平凡な生活をしていても、いつの間にか身の回りにはモノが増えている。
必要なモノも必要で無いモノも、必要そうだが使わないモノもある。逆に必要なさそうだが必要なモノもある。
常々思っているのは、モノに囲まれず身軽に生活したいということ。しかし、必要なモノとそうでないモノの見極めは難しい。
なるべくモノは増やさない様にしているが、ふと気がつくと不必要なモノも増えている。
住宅を設計しているときにも同じことを考えます。
何が本当に必要で、何が不必要なのか。もっと言うと、ちょっと我慢することにより何が不必要になるか。
このちょっと我慢の判断が難しいのですが、ちょっと我慢を受け入れることによって、他の部分にぐっとゆとりが出てくると思っています。
そして、物事はシンプルな程安定感があると思っています。
シンプルにシンプルに使い易く過ごし易く。
住宅を造ることによって、そんな安定感のある、ゆるぎない日常を創っていきたいと思うのであります。
仕事
MOVIE
設計事務所概要
雑記
TOGODESIGN CABIN
TOGODESIGN KAGU
お問い合わせ
ご質問・ご相談・ご依頼はこちらのアドレスから承っております。
master@togodesign.jp
© togodesign